トルコ 旅行

優雅な朝食とファッキン・ジプシー

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優雅な朝食でした。チーズ4種、オリーブ2種、ハム2種にトマトと卵とキュウリにパン、それに紅茶を付けて6リラ270円!安い!そんで美味い!オリーブむっちゃ美味い!日本で食ったときこんな美味しい印象じゃなかったんだけどなぁ。種類が違うのかな?塩辛くてマジ美味でした。

優雅な朝食を頂いた後は優雅に自動車事故を眺めます。メトロの通り道にあるのでメトロが完全に停止してしまっていますね。東京でこんなことがあったら暴動が起きることでしょう。(ちょっとぼくには理解できない。)みんなファビョるわけでもなく事故車の処理を待っていました。あるべき姿やね。

坂道多いので膝が取れそうです。どこいってもモスクがどこかに見えます。

イスタンブールに来てまず思ったことが「神戸やん!」です。ここをくぐって海に出るとこなんてまんま神戸じゃないですか。ほんまに。坂が多いところとか、マジ神戸そっくり。

歩いていると濡れたT字モップを持った子供が寄って来ました。体を密着させて付いて来ながら何語か分からない言葉で話しかけて首にぶら下げているカメラを触ったりしてくるし、子供といえども彼の口から発せられるその謎の言語や目、表情や態度から恐ろしく気持ち悪さのようなモノを感じ反射的に体が彼を拒みました。厭らしい表情をしていました。今まで乞食に対してそんな感情を抱いたことはありません。最後にぼくの持っている飲み終わった空き缶を取ると、飲み物が入っていないことにガッカリしたのか最初からそのつもりだったのかぼくに投げつけてきました。

何も言わず彼を睨みつけ落ちた空き缶を拾いゴミ箱に捨てたのだけど、何ぼくは子供相手に怒ってるんだとか。思わなくもないのだけど、やっぱり彼はぼくにとってむちゃくちゃに不愉快な存在でした。同情の予知もない、だからお前はダメなんだと言いたくなるような。

始終老婆が後ろでその子供に何か大きめの声でしゃべっていたのですが、何を言っていたのか想像が付きません。「いいぞやれやれ」「おいそんなこと失礼だからやめろ」のどっちでしょうか。何にしろ老婆からは視線を感じることがありませんでした。その後少しの間この国の人への警戒心が物凄く高くなってしまいました。しょうがないです生理的なモノです。

射的屋が海にたくさんあります。今思えばこういうので遊べばよかったかなぁ。別にそう高いワケではないし。にしても海にそのままゴミ捨てる感じ、いいね。

食用の貝を採っているトルコ人に声を掛けられました。ジェッキーチェンを知っているかと。いやそれは中国のアクターだ。日本のセックスは最高かと。それはもう最高だと彼らの夢を壊さないように答え去ることにしました。

その晩はモスクの前でビールを呑みました。飲酒が禁止されているイスラム教でその最も重要な建築物であるモスクの前で、ラマダン中に呑むビールは格別に美味かったです。途中超日本語がぺらぺらのトルコ人にあなたたちは外国人だけど、たまにめんどくさい人が飲酒についていちゃもん付けてくるからあまり公で飲まないほうがいいかもしれないよと注意してくれました。親切ないいトルコ人でした。

その後場所を代えて呑み直しました。

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