朝10時ぐらいに起床して、いつものとこでご飯を食べました。少しだけ散歩をし無くしたノートやペンを購入し宿に帰った。
さて今日はどうするか。
昨日のうちにラオスの重要なモニュメントと言われるものはもう見てしまったし、インドビザをここで取得するのも既に諦めた。時間は11:45、もう昨日のうちにはヴィエンチャンにいる意味はないように感じてしまっていたので次の街に移ろうと思う。
バンビエンに行く決心をするのに5分も要らなかった。駆け足で階段を降りスタッフにチェックアウトの旨を伝え大急ぎで荷物をまとめた。オーナーにどこに行くんだと尋ねられ場所を答えると13:30にここから40,000K(400円)ミニバスがバンビエンまで出ていると言う。私はそれに乗ることに決めた。
先ほど朝食を済ませたばかりだというのに、隣の飯屋のバジルライスがもう一度食べたくなり、なんとか入りそうだったので最後に食べることにした。が、500mlのBeerLaoが思いの他お腹で膨らんだのか、いやそもそもバジルライスが多いのもあり、辛さと時間の無さとでなんとも落ち着きのない昼食となってしまった。
吐きそうになりながらミニバスに乗り込む。
隣に座った同い年ぐらいの白人がシートベルトを締めている。よっぽどマナーのいい人間なのかと思ったら他にも数人シートベルトを締めている人がいた。何をそんなにと思うとバスは飛ばすは飛ばす、あり得ないぐらい飛び跳ねるで眠気でフラフラしていた頭になんども窓の取手がめり込むめり込む。痛い痛い。
とは言ってもシートベルト締めたところで特に何も変わんないようだ。と思っているとこの運転手、アホみたいに車間距離を詰める。前の車がブレーキをかけようものなら大変、なんでぶつからないのか不思議なほどの運転であった。
やっと休憩所に着いたとき、まだ1時間少々しか経っていなかった。あと2時間、先が思いやられる。
みんなトイレへ席を立つ、トイレの前にはお約束通りトイレ守りが居てどうやら利用するのには2,000K(20円)かかるようである。これにはもうみんな慣れたようで、黙ってトイレの横に行き草原で小便をする。男に生まれてよかった思えるイベントである。
眠気は更に加速するがバスは更に険しい道に入っていく。なんども頭に窓の取手が刺さり眠気とダメージでどんどん意識が薄れていった。次第に赤土で汚れた植物も見えなくなりバスも揺れなくなってきた。ようやく眠れると思ったその時、バスは目的地に着いたらしい。
そこはNANA GUESTHOUSEという宿の前でなんらかの契約を結んでいるんだろうなと感じ、ここで泊まるのはよそうと思った。Wi-Fiを借りて他のホテルの情報を探すが、どうも雨が降っているし眠たいしで動く気になれない。宿のスタッフがなんども奨めてくるのでとりあえず部屋を見せてもらうことにした。
外見から想像できるまずまずの綺麗さでいいなとは思ったが高い宿においそれと泊まるわけにもいかない。試しに値段を尋ねてみた。
「負けて30,000KIPだよ。」
いきなり負けてくれたし日本円にして一泊300円というのはここ一帯の相場ではないか。それにスタッフも愛想がいいし、とりあえず一泊してしまおうと思い泊まることにした。
荷物を部屋に置きその足で外に出る。するとなんとも素晴らしい景色が目に飛び込んできた。行った事はないが山はまさに中国のなんたら省(ググるのめんどいので割愛)のようであった。
鳥肌が立つほど魅入ってしまった。バンビエンについてまだなんにも知らないのだけど、これは結構いいかもしれない。
バンビエンはよくバックパッカーが沈没する街と言われていて、その原因は大麻にあるという話を聞いたことがあるが、おれにはそれだけではないように感じた。
と、今日はここまで。
深夜特急を読んだ後だからか気持ちが乗って、いつもよりちゃんとした文章書いたつもり。いろいろ覚えているうちに書かないとなぁ。